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天真正传香取神道流武道教范(八)第七编 讲话·奥付

240 字

本文为 1941 年(昭和十六年)刊《天真正传香取神道流武道教范》中日双语校订版的全文转载,中日文对照编排:正文为中文译文,引用块为原书日文原文(附原书扫描页次)。

本篇为第 八 篇 · 第七编 讲话·奥付。

第一章 构

自古将构分为阴阳两类,并认为阴之构中有阳的变化,阳之构中也有阴的变化,二者没有绝对优劣。因此古传并不规定必须使用某一种构,其取舍在于修习者自己的判断。

原文(掃描頁129) 昔より構を陰陽の二つに分け、而して陰の構の中に陽の變化があり、又陽の構には陰の變化があると云はれ、其構に陰陽の得失はないと教へられてゐる。故に古傳には、特に用ひなければならないと云はれてゐる構はない。其の用捨は自分自身の判斷にあると云はれてゐる。

也有把构比拟天地加以解释,或以“构本无形”等秘录阐明深奥道理的说法;但这对初学者较难理解,故本书从略。

原文(掃描頁129) 又構を天地に象どりて説き、或は「構、無形なり」など深淵なる理をさとらせる秘錄もあるが、初心者には難解なるが故に茲ではそれらの説明を省略する。

初学者尤其应正确掌握前编各术之构,并体会蕴藏其中的精神。

原文(掃描頁129) 初心者は前編各術の構を正しく修得し、其の構の内に藏する精神を體得することが特に肝要である。

第二章 间合

间合即我与敌之间的距离。其重要性甚至被认为关系到能否取胜。

原文(掃描頁130) 間合とは、我と敵との隔りのことである。之を知らなければ、勝を得ることが不可能とまで云はれる大切なものである。

古来有所谓三种间合:面对初学者时取近间;面对同等水平者取通常距离;面对高手或真剑胜负时则宜取远间。

原文(掃描頁130) 昔から三つの間合と云つて、初心の者を相手とする場合は間合を近くし、同格の者に對しては通常の間を以てし、上手に掛る時又眞劍勝負の場合には、遠くするのがよいと教へられてゐる。

另有“三、六、九之传”。三为敌我相隔三尺,称“生死之间”,是胜负决定的距离;六为相隔六尺,称“位之间”,又因处于九尺与三尺之间而称“间界”,是双方太刀均能达到的重要距离;九为相隔九尺,称“本间”,属于太刀无法达到的距离。无论我方先发或敌方抢先,皆从本间发生,故各类间合都极为重要。

原文(掃描頁130) 尚ほ間合を三、六、九の傳としての教もある。三とは敵と我とのその間三尺を隔て居ることで、生死の間と云ひ、勝負の決する間合である。次の六とは六尺隔てたることで、之を位の間と云ひ、又九尺と三尺の中程である爲め間界とも云はれる。所謂双方の太刀の届く大切な間である。九とは九尺隔てゝ居ることで、本間と云つて太刀の届かざる間合である。先をとるも、敵に先をとらるゝも、此の本間に於てなされるものであるから、各間合何樣大切なるものである。

第三章 目付

目付,简言之即对敌时的用眼方法。本流有“北斗之目付”之传,即把目光落在敌之眉间;无论攻击还是止住,都不可失去这一目付。眼睛比平时略眯,眼睑不动,尽量不眨眼。但并非只盯眉间,而应观敌全身并兼顾两侧,最终须修炼到仿佛连后方也能看见般开启心眼。

原文(掃描頁130) 目付とは、端的に云へば對敵時の目使ひのことである。當流には、北斗の目付と云ふ傳がある。是は眉間につけることで討つても留めるにも、此の目付を離してならない。目は常より細めに瞼は動かさず、瞬きせぬ樣にする。然し乍ら眉間のみを見るのではなく、敵を一體に觀るは勿論、その兩側までも克く見る。尚ほ後方までも見える如く心眼を開くまでに修業せねばならぬ。

目付另有“切勿忽视剑尖与拳”之教。敌取下段时,动作起势会显现在剑尖;取上段、阴之构等姿势时,则会显现在拳上。

原文(掃描頁130) 又目付には劍尖と拳の二點を忽せにせずとの教がある。之は敵が下段に構ゆる時は動作の起りが劍尖に現はれるからであり、上段、陰の如き構にあつては拳に現はれるからである。

关于目付,又有“观见二事”之传,称“观之目强,见之目弱”。所谓观之目是心眼,见之目则是肉眼。

原文(掃描頁130) 次に目付に關することにて「觀見二つの事」と云ふ傳がある。觀の目強く、見の目弱くと云はれてゐるが、此の觀の目とは心眼のことであり、見の目は肉眼で見ることである。

肉眼所见容易出错,也容易迷惑,因此只宜轻看;应充分开启心眼,从大处、高处观察。

原文(掃描頁130) 肉眼で見るときは誤り易い又迷ひ易いから輕く見て、心眼を充分に開いて大所、高所から見よと云ふ教である。

第四章 残心

残心,是击倒敌人后不因安心而松懈、回顾他处,仍将心留在敌人身上;若见敌再次动作,能立即加以制止的心理准备。即便斩击之后——〔下接扫描页131〕

原文(掃描頁130) 殘心とは敵を討ち得たる時、安堵して心を弛め後を顧るが如きことなく、尚ほ敵に心を殘して、若し再び敵が事を施さんとするを見れば、直ちにこれを制し得る心構である。即ち討たれ——〔次頁へ續く〕

〔承上页〕或突刺之后,也始终不可大意,须把心留在敌人身上。但残心过度,也会削弱斩击、突刺的准确性,因为心若被“敌将如何变化”所束缚,便难以充分攻击。因此无论攻击还是承受,眼睛都不可离敌,始终保持戒备,身体态势不可崩坏。

原文(掃描頁131) 〔前頁より〕る後も、突きたる後も、常に油斷なく敵に心を殘すことである。然しながら、餘り心を殘せば討つこと、突くことの正確さが薄らぐことになる。それは、敵が如何に變り來るかと、心がそれに囚はれる爲め、充分なる攻擊が出來難くなるものである。故に討ちし時も、受けし時も、常に眼は敵を離さず、何時も油斷せざる氣構へで態勢を崩してはならぬ。

兵法所说“胜而系紧兜鍪之绪”,正是对残心的表述。

原文(掃描頁131) 兵法に「勝つて兜の緒を締めよ」とは此の殘心を云ひ表して居るものである。

武道修习者须始终不懈,不可放松心神。相传“油断”一词源于古印度暴君命臣下持油钵行走,并称若洒出一滴便取其性命。武道中片刻的疏忽足以左右全局胜负,尤其在最后瞬间更不可放心,这正是残心之训的由来。

原文(掃描頁131) 武道の修業者は常に油斷せず、心をゆるさぬことが肝要である。油斷とは、昔、印度の暴王其の一臣に油鉢を持たせて行かしめ、其の一滴をこぼさば生命を斷つべしと云ひしより起りし文字であると傳へられてゐるが、武道に於ける寸刻の油斷は勿論全勝敗を左右し、殊に最後の瞬間こそ放心してはならぬのである。爰に殘心の訓がある譯である。

第五章 无念无想

无念无想,是脱离世俗妄念杂虑的澄明境地,即不受束缚、不妄求的境地。神道、佛道也常使用这一说法;在以生死相搏的武道修习中尤其受重视,故修习者以达到无念无想为目标。例如持太刀相对时若存杂念,便不可能正确战斗,必将失败。

原文(掃描頁131) 無念無想とは、世俗の亡念雜慮を離れたる澄んだる境地、即ち囚はれざる、求めざるの境地である。此の言葉は神道、佛道等に於てもよく口にされることであるが、特に生死を賭した武道の修業には此の境地が尊ばれる。故に無念無想の境地に達すべく修業されるのである。例へば太刀を持つて相對したる時、雜念があつては正しく鬪ふことが不可能で、必ず敗れるのである。

无念无想虽指没有丝毫杂念,却并非虚无,也不是没有精神,而是澄澈、灵妙、锐敏且能够活动的精神。达到此境,身心作用便能无碍自在,如镜照物般清楚辨别敌之动静,而我方动作的起势又不被敌人窥知。

原文(掃描頁131) 無念無想とは微塵も雜念のないと云ふことではあつて、虛無ではない。無精神を指すのではなく、澄る靈妙鋭敏に活動し得る精神である。此の境地に至れば、我が心身の働きが無碍自在となり、敵の動靜を鏡に照らすが如く明かに識別せられ、而して我が動作の起りを、敵に窺ひ知られることがないのである。

第六章 兵法

“兵法”可读作“ひょうほう”,也可读作“へいほう”;古时似乎多读前者。

原文(掃描頁131) 兵法をひようはうと呼び、或はへいほうと云はれてゐるが、昔はひようはうと多く呼ばれてゐた樣である。

广义而言,兵法不只包括太刀攻击,乃至饮食、休息、着衣等细节,举手投足皆属于兵法。因此学习武道者,一切动作都应合乎兵法。

原文(掃描頁131) 兵法とは廣義に解すると太刀討つ事以外に、食事、休息、着衣等の末に至るまで、擧手一投足皆兵法である故に、武道を學ぶものは總て兵法に適ふ處作を爲さねばならぬ。

本流兵法从上到下设置各种循序修炼的方法,经过锻炼,修业最终——〔下接扫描页132〕

原文(掃描頁131) 當流兵法にては、上より下に至るまでさま/\の修練的順序をたてゝ鍛練し、其の修業畢り——〔次頁へ續く〕

〔承上页〕归一并达到“武”的精神。

原文(掃描頁132) 〔前頁より〕武の精神に歸一到達することである。

第七章 术与形的名称

居合也写作拔刀或拔合;站立拔刀又称立合。各流派所用名称和文字不同,本流多用“居合”“立居合”。

原文(掃描頁132) 居合を拔刀又拔合とも書き、立つて拔刀するを立合とも云ひ、各流派に依つて其の名稱、文字を異にしてゐる。當流にては居合、立居合の文字が多く用ひられてゐる。

剑术也称刀术、太刀术,所指皆为太刀攻防,只是各流各派称呼不同。本流古传书多写“神术”,中期以后称“太刀术”。

原文(掃描頁132) 劍術も刀術、太刀術と呼ばれてゐる。皆太刀討つ事であるが各流、各派によつて稱呼が異るのである。當流の古傳書には、神術と多く書かれて居り、中期頃より太刀術と唱えてゐる。

“なぎなた”可写作长刀或薙刀。古时多用“长刀”,薙刀似为后世用字。其起源可能是把刀柄加长,故按形制称大长刀、小长刀;后世又按其操作方法——薙扫——写作薙刀。(另有长卷、长柄等类似长刀的武器。长卷的柄略短于刀身,例如刀身三尺五寸、柄三尺;长柄的柄长在二尺以内,再长则不称长柄而称长卷。)

原文(掃描頁132) なぎなたは長刀と薙刀の二樣に書かれてゐるが、昔は長刀の文字が多く用ひられ、薙刀の文字は後世より使用せられた樣に解せられる。之はなぎなたの起りが刀の柄を長くして作られたるが爲め、形よりして大長刀、小長刀の文字が使はれ、後世に至り其の操作の方法(薙ぎ拂ひ方)より薙刀と書かれたるものであらう。(長巻、長柄と云ふ長刀に似た武器がある。長巻は身の長さより柄は多少短く、例へば刀身三尺五寸、柄三尺の如きものであり、長柄は柄の長さ二尺以内にして、それ以上は長柄と呼ばず長巻きと云はれる。)

本流流祖传书写作“长刀”,后世偶尔使用“薙刀”;但各形名称仍沿用“长刀”二字。

原文(掃描頁132) 當流にては流祖の傳書には長刀と書かれてゐるが、其の後末代に至つて薙刀の文字が時折り用ひられてゐる。但し事の名は長刀の文字を依然として使用してゐる。

“形名”是指草薙之剑、五津之太刀、霞之长刀、刎钓瓶之棒等记入目录的名称。这些刀名出自流祖,其理深奥,不可轻易窥测。后学者应反复吟味、思考其中含义,持续研磨,以期接近流祖的理想。

原文(掃描頁132) 事の名とは、例へば草薙之劍、五津之太刀、霞之長刀、刎釣瓶之棒の如き目錄に記する所の名稱である。此の目錄の刀名は流祖の言にして、其の理は深淵にして窺ふべからざるものがある。故に後學の者は、よく其の刀名を吟味熟考してその内に藏する意を理解し、研磨を重ね以て流祖の理想に近づかんことを望んで止まぬ。

第八章 指导者与指导法

在武道中,指导者的言行对受指导者影响尤大。担任指导者者必须不断修养精神、锻炼技术,使自己成为活的模范;还须持续研究指导方法,积累远超学员的修炼,否则无法正确传授精神和技术。指导应以慈爱为本,公平无私,依照秩序与难易循序推进,不可任意赶课。若只关注技术进步,反而可能加重学员负担、背离目的。因此指导者不可焦躁,应稳健引导。并且——〔下接扫描页133〕

原文(掃描頁132) 指導者の言行が被指導者に影響する點は武道に於ては特に大である故に、指導の任に當るものは常に自ら活模範となり得る如く精神方面の修養、技術方面の練成に怠りなく精進せねばならぬ。又指導者は常に指導法を研究して、被指導者とは比較し得ざる程の修練を積まねば、精神、技術共正しき傳授することが出來ぬ。其の指導に當つては慈愛を旨とし、公平無私に而して秩序難易を追つてすゝみ、妄りに教程を急いではならない。事の進歩上達のみに其の心を配つて指導する時は、却つて被指導者の負擔を重くし、其の目的に背馳する結果を招來することがあるから、指導者たるものは決してあせらず、着々と堅實に導いてゆかねばならぬ。猶——〔次頁へ續く〕

〔承上页〕指导时,教师应倾注全身心进入无我之境;学员受其认真态度感召而同心,师徒才会融为一体,使武道精神完整显现,并以心传心实现教育目的。

原文(掃描頁133) 〔前頁より〕指導の間は、教師自ら全我を傾注して無我の境に入り、その眞劍さに導かれて被指導者も心を合せれば師弟は始めて渾然一體となつて武道精神が完全に發現せられ、以心傳心により教育の實が完うされるのである。

指导分个人指导与团体指导,方法自然不同。人数较少时可采用个人指导,人数较多则须采用团体指导。

原文(掃描頁133) さて指導法には、個人指導と團體指導とがあるが、自づと其の方法を異にする。個人指導は少數の場合に之をなし、多數の折は團體指導によらねばならない。

修习者进步程度固然与个人热心、体质等有关,但与指导方法是否适当关系尤大。身处指导岗位者不可吝惜对大小细节持续研究。

原文(掃描頁133) 修業者の上達の程度は、各自の熱心、體質等の如何にもよるが、特に指導方法の適不適に關係すること多大であるから、その立場にあるものは、細大洩らさざる不斷の研究を惜しんではならぬ。

指导多人时,应从基本动作开始,准确教授正确姿势、气合(发声)以及缓急得当的身体运用。教师站在中央示范,让学员反复练习;初期尤其容易形成技术癖病,须细心注意。(薙刀可先徒手练习构、攻击和承受,再持薙刀进行同样练习。)

原文(掃描頁133) 先づ多數の者を指導する場合は、基本動作より始めて、正しき姿勢、氣合(發聲)、體の運用を緩急宜しきを得て正確に教授すべきである。教師は中央に立ちて模範を示して是を修業者に反復練習せしめ、特に初期に於ては技癖を生じ易いから細心の注意を要する。(薙刀の場合は初め徒手にて構へ方、討ち方、受け方等を練習せしめ、次に薙刀を持ちて同樣の練習に移らせるのも一方法である。)

开始时全体一同练习,之后选数人担任受太刀;待训练充分,再相对练习。此外——〔下接本页左栏〕

原文(掃描頁133) 始めは一齊に練習し、後受太刀を數人へ、充分の修練が出來て後、相對して練習せしめる。又——〔左頁へ續く〕

〔承上栏〕可令众人观看,每次由一组练习,对姿势、态度、攻击方法、气合等作出讲评;指导者也可亲自担任受太刀,逐人指导、提示,纠正各自癖病。

原文(掃描頁133) 〔右頁より〕一同を見學させ、其の内一組づゝの練習を行はせ、其の姿勢態度、討ち方、氣合等につき批判を與へ、又指導者自ら受太刀となりて一人づゝ指導して注意を加へ、其の個癖を矯正することは大切である。

以薙刀术为例:先从礼开始,教授并说明持薙刀方法;再讲解构、姿势与进退;分别反复教授面击、胴斩、切上等攻击法,再教授受面、避胴、捋刀等防御法;随后进入连续基本形,使学员掌握顺序。待打入方充分掌握各形后,再按上述顺序教授受太刀,并使双方互相练习。

原文(掃描頁133) 假りに薙刀術の指導法を述べて、他術の參考にすれば、先づ禮より始め、薙刀の持ち方を教示して説明し、次に構についての知識を與へ、姿勢及進退につき解説してより、面の討ち方、胴の切り方、切上げの方法等、攻擊法を別個に反復指導してより、面の受け方、胴の除け方、扱き方等、防禦法を教へて後、連續基本型に入り順序を會得させて、事に臨み充分に修得して後、受太刀を前述の順序により指導し、同時に相互の稽古をさせるべきである。

除技术外,还应不时讲授武道精神,培养高尚的武士道精神;原书并以此要求把学员培养为其时代所称的良好国民。

原文(掃描頁133) 以上技術的方面のみならずして、時々武道に關する精神的訓話をなし、而して高き武士道精神を植え付け以て立派な國民となる樣指導せねばならぬ。

入门指南。 入門案内

近来各地屡次向本部询问神道流入门手续、阶级和教授资格等事项,现将本部最近确定的入门手续等列明,以供参考。

原文(掃描頁134) 近時、各所ヨリ神道流入門ノ手續、其他階級、教授資格等ニ關シ、本部ニ問合セガ屢々アルノデ最近本部ニテ決定セル入門手續及其他ヲ明示シテ參考トナサン。

敬白神文之证(用半纸)。 敬白神文之證(用紙半紙)

一、入门香取大神所传天真正传神道流后,即使亲子、兄弟或同门之间,也不得擅自示人或泄露。

原文(掃描頁134) 一、香取大神御傳法ノ天真正傳神道流ヘ入門致スニ於テハ親子兄弟同門タリトモ猥リニ他見他言致ス間敷候事

一、不得争吵,不得对他人使用兵法或作出无礼行为。

原文(掃描頁134) 一、口論亦ハ他人ニ對シ兵法ヲ働キ無禮ノ行ヒ致ス間敷候事

一、不得参加任何赌博胜负之事,也不得进入其他不良场所。

原文(掃描頁134) 一、諸勝負事ハ勿論其他惡敷場所ヘ立チ寄リ致ス間敷候事

一、未获许可,不得与其他流派试合。

原文(掃描頁134) 一、免許無之時ハ他流試合致ス間敷候事

以上各条务必严守;如有违背,当受香取大神、鹿岛大神神罚。特立神文证如件。

原文(掃描頁134) 右之條々堅ク相守リ可申候若シ背クニ於テハ香取大神・鹿島大神ノ御神罰ヲ蒙ル可キモノ也依テ神文證如件

昭和 年 月 日/ 县 郡 町/姓名/呈饭篠修理亮殿。

原文(掃描頁134) 昭和 年 月 日 / 縣 郡 町 / 姓名 / 飯篠修理亮殿

按上述格式签名盖章,附入门费交至本部。

原文(掃描頁134) 上記ノ書式ニ署名捺印シ、入門料ヲ添ヘテ本部ヘ差出スコト。

一、入门费三圆;学校教员及学生、生徒为一圆。

原文(掃描頁134) 一、入門料ハ金參圓也。但シ學校教員及學生、生徒ハ金壹圓也トス。

一、地方入门者须将同式文书与入门费(小额汇票)一并邮寄。

原文(掃描頁134) 一、地方ニ於ケル入門者ハ同書式ニ入門料(小爲替)同封郵送ノコト。

一、无人介绍时,可以保证人代替。

原文(掃描頁134) 一、照會者ナキ場合ハ保証人ニテ可。

一、阶级、教授资格等由本部随时授予;居于远方者,可依据适当推荐授予。

原文(掃描頁134) 一、階級、教授資格等ハ、隨時本部ニ於テ之ヲ與フ。但シ遠隔ノ地ニ在ル者ハ適當ナル推薦ニヨリ之ヲ授與ス。

本部所在地:千叶县香取郡香取町香取,香取神道流本部。

原文(掃描頁134) 本部所在地 千葉縣香取郡香取町香取 香取神道流本部

奥付

昭和十六年十一月一日印刷/昭和十六年十一月五日发行。

原文(掃描頁134) 昭和十六年十一月一日印刷 / 昭和十六年十一月五日發行

《天真正传香取神道流武道教范》,定价二圆八十钱。

原文(掃描頁134) 天真正傳 香取神道流武道教範 定價 二圓八十錢

著者:杉野嘉男/伊藤菊枝。

原文(掃描頁134) 著者 杉野嘉男 / 著者 伊藤菊枝

发行所:神田书房(东京市神田区神保町一之六七)。

原文(掃描頁134) 發行所 神田書房(東京市神田區神保町一ノ六七)

配给元:日本出版配给株式会社(东京市神田区淡路町二之九)。

原文(掃描頁134) 配給元 日本出版配給株式會社(東京市神田區淡路町二ノ九)

发行者:郡司直/印刷者:西川喜右卫门。

原文(掃描頁134) 發行者 郡司直 / 印刷者 西川喜右衞門


来源:《天真正传香取神道流武道教范》(杉野嘉男・伊藤菊枝 著,昭和十六年十一月刊)中日双语图文校订版全文转载,文字与图像均据该版整理。

《天真正传香取神道流武道教范》系列(共八篇):一 · 二 · 三 · 四 · 五 · 六 · 七 · 八