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天真正传香取神道流武道教范(三)第二编 各说

142 字

本文为 1941 年(昭和十六年)刊《天真正传香取神道流武道教范》中日双语校订版的全文转载,中日文对照编排:正文为中文译文,引用块为原书日文原文(附原书扫描页次)。

本篇为第 三 篇 · 第二编 各说。

第一章 礼法

武道修习始于礼、终于礼,礼因此尤为重要。无论何时何地都应端正行礼,在神圣道场更须严肃。练习武术而失礼,便会流于暴力和匹夫之勇,必须深戒。

原文(掃描頁031) 武道の修業は、禮に始まり禮に終る。それほど禮は殊に大切である。禮は如何なる時、如何なる處に於ても常に正しく爲さねばならぬのは勿論であるが、特に神聖なる道場に於ては一層嚴肅に行ふことを心すべきである。武道の修業中、術に入つて禮を失すれば暴となり、匹夫の勇となるから深く戒めねばならぬ。

礼是崇神、尊人的心意表现,各种美德由此涵养,例如常怀谦逊等所谓武德,都会自然具备。

原文(掃描頁031) 禮は神を崇ひ、人を尊ぶ心の顯れであるから、之に依り諸種の美德が涵養される。譬へば常に遜る謙虛な精神の如き、所謂武德が自然の裡に備はるものである。

原书认为,敬神崇祖的信念源于敬仰与感恩之心,因此日本人不可片刻忘礼。

原文(掃描頁031) 抑も日本精神の根幹とも云ふべき敬神崇祖の信念は、敬仰と感謝の心から出でたるものであるから、日本人たるものは須臾も禮を忘れてはならぬ筈である。

礼包括对皇室、神明之礼,以及对师范、长上、前辈、同辈、后辈之礼,均应依各自身份——〔下接扫描页032〕

原文(掃描頁031) 禮は皇室、神に對する禮、次に師範、長上、先輩、同輩、後輩に至るまで、各々分に應じ—〔次頁へ續く〕

〔承上页〕恰当施行;但敬意本身不应有厚薄之分。

原文(掃描頁032) てなさるべきものであるが、勿論その敬度の念に於ては厚薄があつてはならない。

第二章 道场

“道场”古来原指修习佛法等的场所,后来也用于武术修习之地。这一名称含义深刻,因为道场是在研磨技术的同时,最终陶冶人格之所。

原文(掃描頁032) 古來道場とは佛法等を修するところに名付けられて居たものであるが、それが次第に武術を修業する場所をも道場と稱せらるゝに至つた。這は寔に深い意味を有し、技術を研磨しつゝ、終局に於ては人間としての人格を陶冶する場所であるからである。

道场上席设御座或神殿,修习者在其前练武。因此从出入道场到一切坐作进退、姿势态度,都应以礼为本,遵守纪律,谨慎言语,并维持整齐清洁。若一切严肃,练习时又充满气合、认真如真剑,便能使心技一致,达到预期目的。

原文(掃描頁032) 道場の上席には玉座又は神殿が設けられてあり、修業者は其の御前に於て武を鍊るのである。故に道場の出入より、總ての座作進退、姿勢態度に及ぶまで禮を基とし、規律を守り、言語を謹み、常に道場内の整頓、清潔にまで心掛けねばならぬ。斯くして諸々の事を嚴肅にし、且つ修行に當つては、充分なる氣合を籠めて眞劍眞面目を發揮するならば、心技合致して必ずや所期の目的を果すことが出來るであらう。

即使在室外也同样,应把天地自然视作大 道场,选定适当方向为上席,以礼为本,严肃修习。过去常在神苑、山野、园庭练习,无论地点如何,作为神圣修炼道场的性质不变。

原文(掃描頁032) 假に屋外の場合と雖も同樣にして、天地自然を大なる道場と心得、適當の方向(宮城、或は奉安殿)を上席と定め、禮を基とし、嚴肅に修業すべきである。往時は神苑又は山野園庭に於て修業されたものであつて、孰れの場所に於ても神聖なる修錬道場たることに變りはない。

第三章 用具

本流早期练习用具,是把立木枝条适当裁剪,作为木刀、小太刀、棒、薙刀或枪使用。

原文(掃描頁032) 當流に於て昔稽古に用ひたる道具は、立木の枝を適宜に剪り、木刀、小太刀、棒、薙刀、或は槍として用ひた。

历代师范研究后规定:木刀全长三尺二寸、无镡;小太刀全长一尺八寸,也不设镡(为使练习时不依赖镡)。棒长六尺,直径一寸至八分。薙刀长八尺三寸,女子用七尺五寸,柄粗与真剑薙刀相同。枪长一丈五寸。材料均用樫木,有时用枇杷木。幼年者按身高制作,但宜稍长,例如少年木刀约二尺、棒约五尺五寸、薙刀约七尺。

原文(掃描頁033) 其後流祖以下歷代の諸師範が研究された結果、木刀の長さ全長三尺二寸にして鍔なく、小太刀の全長一尺八寸、同じく鍔を附けない。(鍔なきは稽古中鍔に賴らざらしむる爲めである。)棒は長さ六尺にして徑一寸乃至八分の丸棒である。薙刀は八尺三寸、但し婦人用は七尺五寸にして柄の太さは眞劍の薙刀と同樣である。槍は一丈五寸のものを使用し、總て用材は樫を用ひ、時として枇杷材を用ふることがある。但し、幼年者の道具は、其の身長に應じて造られるが多少長めのものが良いとされてゐる。例へば、少年用木刀は二尺位、棒は五尺五寸位、薙刀は七尺程度のものが適當であらう。

以上用具虽为木制,仍应视同真剑谨慎使用,否则会失去修习的意义与真价。

原文(掃描頁033) 以上用具は木製であるが、萬事眞劍そのものと心得て取扱ふべきである。さもなくば修業の意義と眞價とを失ふであらう。

居合使用有拵装的日本刀。刃长以身高减去三尺左右为宜,例如身高五尺三寸者使用二尺三寸刀;初学者用刃引刀较安全。

原文(掃描頁033) 猶ほ居合には刀拵への日本刀が用ひられる。(第二圖參照)刃の長さは凡そ身長より三尺引きたる刀、例へば五尺三寸の人は二尺三寸の刀、が適當にして初心は刃引の刀を用ふれば危險が尠い。

道场纪律、整齐与清洁都从用具管理开始。每个人都须妥善收拾,不可疏忽。杂乱、无纪律、不洁净不仅玷污道场,也意味着修习者已偏离正确的武道传习。

原文(掃描頁033) 道場内の規律及整頓、清潔等、皆此の用具の取扱ひ方より始まるものであれば、各自心して大切に始末し、粗忽があつてはならぬ。亂雜、不規律、不潔なるは道場の神聖を汚すのみならず、修業者自身既に正しき武道の傳習より遠ざかるものである。

第四章 服装

服装应端正、清洁、质朴,以简素为本;不必要的装饰被视为修习者的堕落。

原文(掃描頁034) 服裝は總て端正にして清楚、質實なるを撰び、簡素を以て旨とすべきである。苟くも不必要なる裝を爲すものがあるならば、之は修行者の墮落と謂はざるを得ない。

过去本流为随时应对敌袭,不特意更换服装,而以日常穿着练习,不扎钵卷、不系襷、不提袴股立。这源于“男女平日皆应穿可随时练习的质朴服装,并始终不可松懈”的教导。

原文(掃描頁034) 往時當流にては、如何なる時に敵より襲はるゝとも立合ひ得るやう、服裝は特に改めず總て着のみ着の儘として居た。例へば鉢卷、襷、袴の股立を取ることなどをせずに稽古を爲し來つたものである。是は「男女共に平素、常に稽古の出來得る質素なる服裝をなすべし。又常に油斷すべからず」との教へより出でたるものである。

后来为便于动作,练习服逐渐形成固定样式。学校可穿制服练习,和服外系襷也无妨,只要不失礼。神前奉纳演武时,正式服装则为纹服。

原文(掃描頁034) 當今に至り、動作の容易なるやう稽古衣姿となり、一定の形を整へることゝなつた。而し學校等に於ては制服のまゝ稽古をなし、又和服の上に襷がけして稽古を爲すも、禮を失せざれば差支へないのである。然しながら神前奉納演武の時は紋服姿となるのが正式である。

第五章 气合(发声)

发声也称气合,是精神、身体、技术协调一致时发出的声音,应从腹底锐利发出。徒然大喊最为忌讳,反而可能妨碍气力充实。

原文(掃描頁034) 懸聲は一に氣合とも稱し、精神、身體、技術が合致調和したところから出るものである。故に肚の底より銳く出すべきであつて、懸聲を徒に大聲で發することは極めて禁物にして、却つて氣力の充實を妨げる懼れがある。

初学者起初可努力大声练习,随技艺渐熟,最终应能无意识自然发出。从发声可以看出修炼程度,可知其重要。

原文(掃描頁034) 然しながら初心者は、當初は努めて大聲にて練習し、後次第に技の熟達するに隨つて無意識中に發せられるが如くに至るのが良い。修業者の懸聲に據り、其の修錬の程度が窺はれるものであるから、之の如何に肝要なるものであるかといふことが知られよう。

武士把突然无声攻击称为“暗击”并加以忌讳,源于认为这不是堂堂正正攻击的武士道观念。

原文(掃描頁034) 武士は、不意に懸聲なく打つを闇擊と云ひ、忌み嫌ふのであるが、之は正々堂々たる攻擊に非ずとなす武士道精神から出てゐるのである。

传统常用“イヤー”“エイ”“トー”三种发声。“イヤー”表示我方体势完备,也用于遭遇瞬间以声势抢先挫敌;“エイ”用于抱定决意斩入等动作;“トー”为止住之声,用于接止或斩落。

原文(掃描頁034) 昔より多く用ひられたる懸聲は「イヤー」「エイ」「トー」の三つである。「イヤー」は我が體勢の完備せるを示し、又は出合ひ頭に敵の勢を挫く爲め懸聲を以て先を取る場合にも使はれ、「エイ」は堅固なる決意を以て斬込む等の動作の場合に掛けられ、「トー」は留むる懸聲であつて、受け留め、又は斬り落す時に用ひられる。

第六章 练习

武道练习在神圣道场进行,必须认真、严肃。武道本非由理论出发,而是实践躬行之道,应坚持不懈,通过反复练习体会其精髓。——〔下接扫描页035〕

原文(掃描頁034) 武道の稽古は神聖なる道場に於て爲すのであるから、眞面目に眞劍に行はねばならぬ。元來武道は理論より出發したるものではなく、實踐躬行の道であるから倦まず撓まず、反覆の稽古に依つて其の眞髓を會得すべきである。—〔次頁へ續く〕

学校等多人同时练习时,各项事务容易混乱,更须注意,并要求每个人主动努力。

原文(掃描頁035) 特に學校等に於て多人數が一時に稽古する場合には、諸事亂れ易くなる故に一層の注意と各人の自發的努力とを怠つてはならぬ。

初学阶段不可急于求进,应遵从教师充分修炼基本,掌握正确姿势、构、攻击、承受、残心等,再进入各形学习技术。

原文(掃描頁035) 初心の間は特に先をあせらず、師に隨ひ基本修錬を充分になし、正しき姿勢、構へ、攻擊、受、殘心等を修得し、後事に入り術を學ぶのが正しい。

练习最应注意的是:不可被胜负所夺,一心只想不输或求胜,因而失去自由自在的本体并忽视真正武道精神。练习的生命在于反复正确磨炼技术;被击中、犯错或失败,反而能带来进步。

原文(掃描頁035) 武道の稽古に最も心すべきは、勝敗の一事に心奪はれ、相手に負けまい、又勝たう勝たうと云ふ氣持に囚はれ、自由自在の本體を失ひ、又眞武の精神を疎かにしてはならぬことである。稽古の生命は、數を掛けて正しく技を磨くことにあり、寧ろ擊たれる(過ち失敗する)ことが進境を齎らすことになる。

休息、患病或负伤时,也应尽量观看他人练习,取其长、弃其短。无论练习还是观摩,都不可随意谈笑或无礼批评,应始终以礼为中心。

原文(掃描頁035) 休息時、また病氣の節、或は負傷したる場合等に於ては、勉めて他者の稽古を見學し、其長を採り短を棄てるように心掛ければ至極有益である。稽古中は勿論見學の時と雖も妄りに談笑し、或は批判する等、無作法に亘るべきことなく、絶えず禮を中心として禮に終始すべきこそ修業者の道である。

第七章 基本

基本是一切动作的基础,是把各形分解后编成便于学习的内容。它适合同时教授多人并使之熟练,是团体教学不可缺少的部分。

原文(掃描頁035) 基本とは總ての事の基礎となるものであつて、事を分解して平易に學び得るやうに仕組まれたるものである。基本は、多數の者を同時に教へ且つ之に習熟せしむるに適するから、團體教授には缺くことの出來ぬものである。

基本有徒手练习,也有持木刀、棒、薙刀等用具练习。初学者常因基本枯燥而轻视,但不熟基本,便不可能获得正确姿势、敏捷体捌和正常运用。因此准确、认真、反复练习基本,才是提高最快的捷径。

原文(掃描頁035) 基本には徒手にて之を爲す場合と、用具(木刀、棒、薙刀等)を持つて爲す場合とがある。初心者は基本修錬の興味尠き故を以て、之を輕視し疎んずる傾向があるが、基本に熟達せずしては正しき姿勢、敏活なる體捌き、更に事の正常なる運用など、到底望まれぬところである。故に之を的確熱心に反覆稽古することが、軈ては實效を伴つて上達を早からしむる捷路となるのである。

第八章 卫生

武道修习者理应不忽视卫生注意,成为健康而有活力的人。——〔下接扫描页036〕

原文(掃描頁035) 武道を修業する者は、須く衞生上の諸注意を怠ることなく、潑剌たる健康の人となつてこそ當然である。—〔次頁へ續く〕


练习前应保持身体清洁,务必排便,剪短手足指甲,并先做准备运动。

原文(掃描頁036) 稽古の前には、身體を清潔にして必ず便通をなし、手足の爪を短くし、準備運動を行つてから始めねばならぬ。

练习中不要张口,以鼻呼吸;不可勉强逞强,须注意避免受伤与失误。

原文(掃描頁036) 稽古中は、口を開かず、鼻にて呼吸すること。無理を敢てして怪我過ちをなさざるやうに注意せねばならぬ。

练习后容易感到口渴或饥饿,仍应自我节制,避免暴饮暴食,不可任由欲望驱使。

原文(掃描頁036) 稽古後は、渴又は空腹を覺ゆるものであるが、宜しく自制して暴飲暴食を愼しみ、妄りに欲望の赴くまゝに馳せてはならぬ。

道场内应经常清扫;练习服须充分洗涤,无法洗涤时也应不时晒太阳。

原文(掃描頁036) 猶、道場内の掃除をよくし、稽古衣は洗濯を充分にし、然らざる場合は時折日光に當てるべきである。

修业者不能只满足于无病无灾;平日还应不断蓄养精力,使气力充实。技法之锐利源于心之澄明,而心之澄明又以旺盛体力为基础。要维持如金铁般的体魄,关键在于勤于摄养。

原文(掃描頁036) 修業者は無病息災であるといふ許りではいけない。日常益々精力を蓄へて氣力を充實せしめねばならぬ。業の冴えは心の冴えであり、心の冴えは體力の旺盛なるを意味し、金鐵の體躯を維持せんには攝養に是れ努むることが肝要となる。


来源:《天真正传香取神道流武道教范》(杉野嘉男・伊藤菊枝 著,昭和十六年十一月刊)中日双语图文校订版全文转载,文字与图像均据该版整理。

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